綺麗な庭

僕の救いの箱庭です。

独白

神様がいるなら少し僕の独白に耳を傾けてほしい。

 

2019年の蒸し暑い夏、定められたある種の指標を通過して僕は大人になった。

呆気ないものだった。愛想の悪いゲートの審査官は、顔も見ずにスタンプを押した。どこか割り切れないような気持ちと共に通り抜ける。そのまま歩きながら後方を一瞥し、さてどうしようか、と息をついた時、もう戻れないんだとわかった。同時に前にも進めなくなっていることに気づいた。つまり何処へも行けない。困ったな。と頭を掻く。

 

野菜を食べるようになった、知識を蓄えた、遠くへ行けるようになった。

以前より感情が乏しくなった、妥協することが多くなった、自分を信じることができなくなった。

 

ポケットに入れておいた乗車券を取り出そうとするが、そこには何もない。ああ無くした、と気づく。それと同じで、あの頃のイノセンスを僕はどこかに落としてしまった。それが僕の不注意によるものなのか、何か外的な要因によるものなのかは今となってはわからない。探しにも行けないし、どのみち風化してしまっているだろう。

こうなってしまったら知識も大義も十分な意味をなさなくなる。そのうち現実とのギャップに焦燥を感じ、右往左往し、あるいはそこから動けないまま堕ちてゆく。そういう事例を僕はたくさん知っている。

実のことを言うと、こうなることは薄々わかっていた。それが漠然とした不安、違和感として心に巣食っていたから。今日、一層リアリティを持った鉛みたいなそれは僕の足取りを鈍らせる。どうにかしなければ。

 

不明瞭だ。視界はどこにもピントが合わない。本当さ、比喩なんかじゃない。綺麗な景色や人の顔を見たようで見ていないのだ。昼間の自分を他人のように感じる。自分が本当は何を求めているのか、何処へ行くべきなのか。当人にわからなければ答えは永遠に海の底。1日に何度も、わかんないな、と呟き、海の底の魚に想いを馳せる。

 

何処へも行けない醜い自分に心底辟易する。

ここまでの道のりで僕は何度も間違えた。小さな間違いが重なり、少しずつ道がずれる。ふと振り返ると道は大きく歪み、自分が道に迷っていることに気づく。何処へも行けないとはこういうことだ。こんなことなら何もわからないまま終わりにしてほしかった。

歩く理由を何度も考えた、離脱することも何度も考えた。

 

結局のところ、僕は幸せになりたいだけ。当たり前だけどそれさえ叶えば良い。僕がこの長い旅を離脱しないのはまだ可能性があるから。歩くための足もまだあるし、視力は落ちたが目も見える。決して足場がいいとは言えないけど前には道がある。こんな愚かな脳みそでもものは考えられる。

足りないものの方が多いけど、あるものが見えないほど視力は落ちていない。

と、前向きなことも一応確認しておく。

 

長くなったけどこういうわけです。神様。

完璧なんて望まないので、どうか胸のこの辺りだけ直してもらえませんか?いくつか部品を欠損してしまったみたいなので。