綺麗な庭

僕の救いの箱庭です。

ピアノに擬態する娼婦

ある娼婦の話。

艶やかな黒髪の彼女は娼館の窓から世界を見ていた。(海が近いが、見えやしない。)

彼女にとって娼婦でいることは、存在の確証であり、生きているということだった。

しかしあるとき彼女は、毎日毎日自分がすり減り、惨めになっていることに気づいた。窓の外はずっと美しいのに、鏡の中の自分は、何かが失われていた。旅行先で忘れ物をしたんじゃないかと心配になるのに似た感情。

おもむろに彼女は椅子だけを残して、部屋を空っぽにした。ベッドも、鏡台も、全てを締め出した。そのときすっかり彼女は真っ黒になっていた。美しいカラスのような、夜のような--。

 

その日から、彼女はピアノに擬態するようになった。

 

客が部屋に来ても、椅子に座り、そっぽを向いて煙草をふかすだけ。黒い服を、白い下着を纏って。

男が彼女を演奏しようとするが、残念ながら男には音楽の才能はなかった。

 

彼女はずっと、艶やかな黒髪のカーテンを垂らし、黒い服を着て、山ほどの煙草をふかしながら、窓の外を眺めている。ただ静かに、堂々と。いつまでも。

まるでそう、夜と愛を嘆くピアノのように、僕は見えた。

 

サナトリウム(英: sanatorium)は、長期的な療養を必要とする人のための療養所。

結核治療のため、日当たりや空気など環境の良い高原や海浜に建てられることが多い。

 

 

good bye night

消すんだよ、煙草を。アスファルトにぐりぐり押しつけて。

道路の薄汚い白線の内側。嫌になる。

君の顔も見ずに煙草を消す。

君には意味が多すぎる。正解なのか夜なのか、書き記すのか、あるいは騎士のように闘うのか。(ペンは剣よりも。)

そう言えばそうだ。当たり前だその通りだ。鼓膜がバチバチと痛む。うわんうわんうねった鼓動を繰り返している。

アスファルトに染み込んだ火花の熱は朝方まで冷めることはなかった。君が立ち去って僕がいなくなっても、ほんのり熱を持っていたようだ。気づかなかった。

 

中毒

あの感覚が忘れられない。

全てが満たされて、体温が少し上がる。

帰り道、体は驚くほど身軽だった。

溢れそうなほどの幸せはこの世のどんな気体より軽かった。

ぷつり

体が、心が、鉛のようだよ。

浮力を忘却した大きな大きな鯨。いつまでもどこまでも沈んでいく。

SOSは泡になって消えてゆく。

いっそ溺死させてほしい。幸せ中毒者。

日記

 

 

今日は一度朝早くに目覚めた。生まれて初めて感じた、病院の光のような日光をぼんやり見つめていた記憶がある。

僕はそこでなぜかスプーンを思い浮かべた。搔きまぜるのだ。

いつの間にかもう一度寝ていたようで、日光はさっきとは違う、霧雨のような安心感を持っていた。

起き抜けに水を飲んだ。自分が半透明になったように感じる。

朝食と昼食を一緒にとった。固いパンをミルクで流し込んだ。スクランブルエッグが幸せかどうか聞いてくる。

とりあえず絵を描く事にした。何を考えるでもなく、筆に任せた。あれは駄作だ。

花瓶の水を新しくして、季節の花を植えた。そろそろ雨の季節なのだが、毎年、一滴も降ってくれない。嘘をつかれた気分になって、1つだけ、ドロップを土に埋めた。

風が気持ちよくなってきたので、白いプラスチックの椅子で、本を読んだ。「sfer mul」幸せ図鑑。幸せには、絶滅した個体や、希少な個体があるらしい。

とても興味深い。いつか幸せを採集する旅に出ようと思う。たくさん捕まえて、標本にしよう。

甘酸っぱい物が飲みたくなったので、透明な酒を飲んでみた。随分前のだったが、飲めた。花にも少しあげた。

太陽が悲しそうに消えてゆく。また明日会おうと思う。そして「昨日ぶり。」と声をかけてやる。きっと喜ぶだろう。

夕飯を適当に胃に入れた。橙色の電球は、病院の光の正反対だ。

煙草がなくなったので、また明日作ろうと思う。

久々に夜更かしをしてしまった。

目を瞑ると、あの朝日がちかちか眩しくて、眠れないのだ。

ミルクコーヒーを作ったが、あまり美味しくなかった。

あまり眠くないが、寝ることにする。

病気の鯨のようなベッドが僕を待っていてくれてるからね。

 

 

 

 

 

特別な意味を持って生まれた液体が、不機嫌な僕の喉を通過した。

ひとさじのミルクコーヒー。

最近何を飲んでも不味く感じてしまう。

後味、後を引く不幸。追って来る。

馬鹿らしい。本当に。

吐き気がするんだ。寝る前だっていうのに。

真っ白な部屋にドライフラワー、寒い森で火を灯す、ざらついた視界に君を入れる。精一杯の仮想!精一杯の幸せ!

何度も何度も反芻してやっと忘却を思い出す。

いつになく1人になってしまった。

このミルクコーヒーはやっぱり不味いよ。

 

左右非対称

君が今、幸せらしい。

僕は丁度その反対側にいるらしい。

アシンメトリー。いいじゃないかそれで。

君が笑うと涙が出る。不思議な機能に感心した。

僕が全然眠れないってことは、君はぐっすり寝ているんだろうね。

いいじゃないかそれで。